声優統計

声優統計は声優を科学します。

終わるようで終わらないちょっとだけ終わるアクエリオンロゴス

はじめに

本日2016/1/24はアクエリオンロゴスファン感謝イベントの日でした。
お疲れさまでした。みんな大好き小澤亜李ちゃんまじかわいい。俺の好きそうな以下略。


というわけで2015年においては、『放課後のプレアデス』と比肩する二代傑作であった『アクエリオンロゴス』について振り返って行きたいなと思う訳ですが。

ここまでのあらすじ

c89にて私が声ヲタグランプリvol.16http://d.hatena.ne.jp/rasiel9713/20151228に寄稿したアニメレビューのうち1本がロゴスでした。
本当に好きになったアニメをレビューするのが久々だったのでかなり熱のあるいい原稿が書けたと自負しているので是非読んでください。
きっと次のコミケに谷部で売ってるよ(雑)。


で、それについて@rasiel9713さんから感想?さらなる論考?をいただきました。
べたべた。








どーでもいいけどこういうのembedで貼付けると一個前のmentionのみ展開される仕様かゆいところに手が届かなくて鬱陶しいですね。
どうせなら孫まで展開してくれれば一個だけ貼るのに。
という読みにくいのの言い訳。

というのが昨年末だったんだけど、忘れてないよ、ちょこっとコメントするよ、という話。
以下、割とアクエリオンロゴスのネタバレを含み、私のアニメレビューを読んでいないといまいち分からない話が続くので注意。

アクエリオンロゴスのレビュー原稿の着想はなに?

これはぶっちゃけて結論からいうとTLの誰かが言っていた「陽は声ヲタだ」発言に影響を受けた、あるいは乗っかった形、というべきである。


声ヲタ界隈のアニメ実況だと、登場人物が声に関して敏感だと「こいつ声ヲタだ」、逆に鈍感だと「声ヲタじゃない」というコメントが付くことが多々ある。
典型的な例は、何らかの同一性(変装から入れ替わりまで多種多様な場合がある)を同一キャストで表している演出で、そのことに気付かない場面でよく見られる。


その点に置いて、灰吹陽は大いに声ヲタである。それもむしろ、徳の高い声ヲタである。
今日のイベントにおいてもみんな大好き小澤亜李ちゃんが特に感銘を受けたと言っていたシーンの一つに「音に意志が宿って声にある、意志無き声はただの音」というフレーズがある。
これは正確には単一の登場人物のひとつの台詞ではないが、大筋で言えば陽が上手く台詞を喋れない心音に向けて言ったアドバイスだ。
他にも随所で、創声部メンバーの声を聴き、真意を誰よりも理解し、より強い意志の込められた声を引き出して行く。
これが前半クールの「救世主」と「創声部」の交流メインのあらすじと言ってもいい。


で、主人公=救世主=声ヲタ、という図式から出発すれば、あとの原稿は自然に導出されると言ってもいい。
声ヲタが声優を救えるわけないだろ!という予測されるツッコミについてもアニメがちゃんと答えを用意してくれていたのでそれに乗っかり、
細部を整えればこういう読み筋における「主題」とは「声を発することと声を聴くことの往復運動」となるのは自然な帰結だった。


これが自分自身の声ヲタ観にかなり合致していた、というのは正直偶然なのか自分の頭で考えたから当然そうなるのかは自分でもよく分からないが、
その点については自分で意識的にねじ曲げたつもりはなく、自然にそうなっていた。
自分は声ヲタのやるべき本当の仕事は「声優の声を漏らさず聴くこと」「聴こえているよということをなんらかの手段でお返しすること」だと抽象的に定式化している。
これはよく考えれば往復運動であり、綺麗事っぽくはあるが声優さんが折にふれて言う「いただいた声援をお返しする」みたいな表現とも対になっている。
なお、ここで言う「聴く」は(「聞く」との差別化であり)意志が宿っているところの声から意志を受け取るということを意味しているのは言うまでもなく、これもまた対をなす。


原稿を書くにあたってこんなことを考えていたらますますこのアニメのことが好きになるのは当然であり、最終的に
「俺は声優と結婚する、なぜなら俺は救声主だからだ」
とか言い出しても仕方が無い、というのはご理解いただけただろうか。

「救世主」とはなにか?

rasielさんのコメントにあった救世主って言葉をどういう意味で使っているの?問題について。


と、ここで確認したいんですが、rasielさんはロゴスは全部ご覧になりましたかね?
というのも、「救世主」というのは主人公が自称しているフレーズであり、その真意は謎のままでスタートする。
その意味は何なのか、何故彼は世界を救うことにこだわるのか、というのはメインストーリーに関わる重要なファクターなのだ。
なのでこれについて回答することはネタバレになる。
しかし、一言だけ言うとすれば、もしご覧になってないのならば、

この点は完全に作品自体の限界であり

と一言では括れない程度にはロゴスは骨太ですよ、是非ちゃんと観てほしいと思います。


そもそも提出した原稿も、まじでみんなにこのアニメ観てほしいという気持ちが勝ってしまって、実は重大なネタバレをまったく含まない、
しかし作品の本質についてはばっちり論じているという結構巧妙なレビューになっている。
また、私は常識的(とは?)な知識以上の宗教上のあれやこれやを知らないので、rasielさんのコメントを正しく理解できているか若干自信がない。
とりあえずここでは

  • savior: (神々などの超自然的な)脅威から人間を救う勇者とかそういう存在
  • Messiah: いわゆる聖書において予言された救世主。神によって遣わされるし、キリスト教においては人間の罪を背負って十字架に掛けられて死ぬ

ぐらいの理解で書く。
とはいえなんちゃって感はありつつも「神話」を標榜しているアクエリオンシリーズであるしこういう目線も無視出来ないのかもですねー。


とはいえ、序盤における「救世主」の意味は、savior的だと言っていいと思う。
理由はよく分からないけど世界の脅威と戦うことを陽は指向していることはストレートに描かれている。
そこに聖書的な含意は全然ない。
しかし後半クールに入るにつれて、世界を救ってどうするんだ、「救世主」は世界の脅威がなくなったらどうなるんだ、みたいな話になってこの辺りの概念は揺らぐ。
終盤、陽の本当の動機が解明され、彼の言う「救世主」の意味は大きく変わる。
そして最終話で誕生した「救世主」は、はてさてどうしてsaviorというよりはMessiahなのでは…?といった感じがする。
なかなかこの切り口だけで観ても一言では語り尽くせぬアクエリオンロゴスである。


陽くんは二言目には「なぜなら俺は救世主だからだ」と言うんだけど、終盤にすごく印象的なシーンがあって、
今までだったら必ずそのフレーズが入るだろう構文とタイミングで
「それが人間だ!」
って言うシーンがあるんですよ。「救世主だから」でも完全に意味が通る台詞なのに。
そういうのもあって、なかなか深いですよ、やっぱ(自己完結)。


ではこの点を踏まえて救声主とは、声ヲタとは…?と考えるとなかなか難しいが、個人的には陽の本当の動機であるところの「救世主」の意味に私の声ヲタ観を仮託したい。
声優とは人間だ、という言明における「人間である」のと同程度には、「声ヲタとは人間である」とも言えるでしょうしね。


…ちなみに、海外配信においてはSaviorと訳されてるようです。
Aquarion Logos - Wikipedia, the free encyclopedia
まぁわざわざMessiahやそれに類する語に訳して冒険する意味はないよね、冷静に考えると。
そして翻訳の困難性みたいな意味でいうと、基本的には一語+感嘆詞、というテンプレートなのに英訳すると他動詞に目的語がくっつくのクソださいですね。

落ち穂ひろい

原稿には盛り込めなかったけどちょっと長文で書きたい感想をこの機に少しだけ。

「根拠なき自信」

私がオタクになったきっかけは大雑把にいえばカードキャプターさくらなんですけど。
原作者CLAMPはファンブックとかのインタビューで何度もこの作品のテーマについて「根拠なき自信」であると述べている。
さくらちゃんの決め台詞(?)「なんとかなるよ、ぜったいだいじょうぶだよ」を指した標語だ。


で、アクエリオンロゴスなんですけど、「(なんたらかんたら)、なぜなら俺は救世主だから」、というのは、これの変奏だよね、と思ったんですよ。
(なんたらかんたら)は基本的には大丈夫だとか任せろとかそういう趣旨の言葉が入るのだが、「なぜなら」で受けている割には理由になってない。
そもそも救世主であるという事実が先行するのはおかしくない?みたいなツッコミは容易に湧いてくるし、そのことについて登場人物から実際に問いつめられるシーンまである。
しかし他方で大抵の場合に主人公はなんとかしてみせるのであり、また終盤明らかになるように彼が高い創声力を持つ理由はそのままずばり、
彼が声に出して「俺は救世主だ」と言い聞かせていたからである。


これは私に言わせればさくらちゃんが「なんとかなるよ」って口に出すのと印象は違えど本質は変わらない。
大概のことは上手く行く理由とか、表層的には説明できるけど、突き詰めて行くと根拠レスだったりすることもあって、でもやらなくちゃいけなくて、
それを出来るようにするのが「根拠なき自信」なのだ、というような話を前述のファンブックではしていたように記憶している(というか、そのように理解した)。
そう口に出すこと、あるいは誰かにそう言ってもらうこと、それは明確な力なのだ、という言明は、たとえフィクションであっても力強い。
それはたぶん自分に足りないもので、だから私はCCさくらに惹かれたんだろうし、同じようにアクエリオンロゴスに惹かれてるんだろうなぁ、という感想文。

対になるものをただそのように描くこと

原稿にまったく入らなくてしかし私がロゴスを好ましいと思ったもうひとつの要素は、ロゴスのバランス感覚だ。


なんと言えばいいんだろうな、対立する価値観や概念を描くんだけど、それをぶつけてどっちかを勝たせたり、安っぽい弁証法的解決を採ったりしないのが好き。
今日のイベントでも複数のキャストが好きなシーンに挙げていて、特に梅原さんが熱く語っていたけど。
嘘が言えなくて正直に生きるのが何が悪い、それで損をするなら本望だ!みたいなことを言うシーンがあったあとで、
芸能界で活躍するという自分の夢のためならば嘘と共に生きる覚悟はある、と別のキャラクターに言わせたりとか。
人が死んだら何も残らない、胸の中で生き続けるなんて修辞はクソくらえ!的なことを言った後で、
ここには死んでしまったあの人の声が満ちている、と別のキャラクターに言わせたりとか。
そしてそれはどちらも正しいのだ、と描かれていることが、この上なく好ましい。


陽と総が安易に和解しなかったこと、そこに到達するために自然に作品がそうなったように思えて、すごく好きな部分です。

語り尽くせないので終わらないアクエリオンロゴス

他にも細部に至るまで本当に好ましいことづくしなんですよ。


好きな台詞を延々と書きなぐっていってもいいんですがちゃんと確認するのがめんどくさいのでやめます。


とはいえなんといっても言葉と声をテーマにした作品で。
やっぱり声ヲタに刺さったように声優さんにもすごく刺さる作品だったんだなって。
今日のイベントでのキャストの言葉を聴いていてすごく実感して。
自分はちゃんとこの作品の声を聴けたんだなって思ったし、やっぱり声優さんのことが好きだなって思ったし。


まーなんかそんな感じ。
ここでちゃんと言葉にしきれない感じが我の創声力の弱さだよなぁ。がんばろう。